うるう年を振り返る。

今週のお題「うるう年」

 

 4年に一度のうるう年。私は今20歳なので、生まれて6回目のうるう年、ということになる。ということで今回は自分の覚えている2月29日の前後のことを思い出していくことにする。

 

 

 ではまず、2020年2月29日。

 

 ............自宅警備員してた。

 でもこれくらいからだったかな、コロナウイルスの影響で学校が臨時休校になったり大きく動き出したのは。小中高の卒業式が中止になったり、悲しい思いをしている人も少なくないのでは。今は絶対にそんなこと考えられないと思うけど、その子たちに、10年後、20年後、自分たち、そーいや卒業式なしで学校卒業しちゃったんだよなーー!!みたいな、笑い話にできる未来がやってくることを祈る。

 

 いきなり暗い話題でスタートしてしまった。今こそハッピーにいきましょ、ハッピー(^^)

 

 

 では、時代をさかのぼって、2016年2月29日。

 もかあん、16歳、高校1年生。

 たぶん、期末試験の勉強してた、めっちゃ普通。

 このころ、自分は外見的には普通にまじめだった。制服も着崩さず、髪型もほぼポニーテール、ついでにメガネ、みたいな。特に問題行動も起こしたこともない、たぶん印象も薄めの生徒だった。だがしかし、心の中は、というと、まーーやばいやばい。そもそも学校嫌いだったし、運動部とか陽キャが多く所属している委員会の言うこととか、なんで聞かなきゃならないんだとかずっと思ってたし(怖いからほどほどに従ってはいたけど)、たぶんいろいろとまずいことばっかり考えていた。普通に友達も少なかった。そんな中、当時の私が思っていたのは、こんな環境でも出席と成績はそれなりにマウントとれるだろう、ということである。まず私はそうそう風邪をひかない。これはちょっとした自慢である。だから出席日数だけは負けない自信があった。それから、成績。こっちはそれなりに勉強すればだれでも上にいける。私の学校は特に順位などが出るわけでもなかったが、なんとなくいつもむかつく人たちに負けたくなかった。だから、勉強はそれなりにはまじめにやっていた。

と言いつつ、高2になって文理選択でわけられたとたん、理系の塾通いの人々についていけず、まーぐんぐん成績は落ちたわけだが。出席に関しては、無事高校3年無欠席を達成した。高3のクラスでそうなったのは私ともう一人、運動部で体育委員でめっちゃ陽キャでもかあん的にもっともクラスで苦手だった方の一人(Oさん)の二人だったのだが、Oさんともかあん。(仮名)が3年無欠席の人ですーー、と担任の先生に言われたとき、すごいなぞな空気に包まれたことを今でも鮮明に覚えている。というか、うそでしょ、とそんなに仲良くもない人たちに何度か聞かれ、まじでほっといてくれと思った。

 

 いろいろ脱線したが、2016年はこんな感じだった。

 

 

 またまたさかのぼり、次は2012年2月29日。

 もかあん、12歳、小学6年生。

 これは、よく覚えている。いきものがかり6枚目のアルバム、「NEWTRAL」の発売日だった。

 私は小4くらいから高2ごろまでいきものがかりのファンだった。特に中2から高2くらいの間は本当にいきものがかりの曲しかほとんど聴いてない生活を送ってたし、学生生活、さっきも書いたようにいろいろやみやみしていたわけだが、そんな中でもなにくそと思いながらも過ごせていたのはいきものがかりの音楽があったからだと思う。

 で、このアルバム「NEWTRAL」。ちょうどこれが私の中学受験の終わって間もないころに発売された。だから、このCDを自分で初めて買ったCD、という存在にしようと思ってた。しかし、父が買ってくれてしまった。いや、嬉しかったよ、すごく。でも、そういう存在にしようと思ってたから、ほんの少しだけもやっとしたのを覚えている。ごめん、お父さん。

 「地球」という曲が好きだ。あと、中高生の私は、見た目的にこのころの山下穂尊さんが一番好きだった(ただ黒髪に近かったから、というだけだと思う)。

 

 

 これより以前。2008年2月29日。

 はい、何も覚えていない。

 

 

ということで、これにて2月29日の振り返りはおしまい。

 

 次の2月29日、自分はどうなっているのでしょうか、乞うご期待、、、ではないが、4年後、少しでも明るいことがあればいいなと思う。